2011年04月18日

震災を考える

先の4月16日に、私も参加している建築家Catalogueの緊急フォーラム「震災を考える」が開催されました。建築家Catalogueで予定していた建築展の企画を急遽変更しての開催でしたが、通年開催しているリレートークショーに増して、多くの方に参加頂いての開催となり、いろいろな角度から震災について考える機会となりました。

110416_震災を考える


毎日新聞さんの当日の取材記事もネットに掲載されています。

フォーラム:建築家グループが金沢で、、、地震について考える。

前回のブログでも書きましたが、今回の震災は予想をはるかに超える規模の地震が起こり、未曾有の被害となっています。原発の事故でもわかるように、ようやく私たちは想定外を想定することでしか安心安全な暮らしを守ることが出来ないことがわかったように思います。

阪神大震災、中越地震、能登半島地震に出向いてこられたメンバーの屋利行さんの報告で震災の実際を詳しく体験談として語って頂きました。震災後に建築士を中心として、被災された住宅の相談(状況把握のため)には多くの人手が必要で、今回も既に私の所属するJIA(日本建築家協会)へもボランティア派遣の要請が来ているということです。今回は私自身も参加したいと考えています。

震災での建築士の役割のほかに、過去に多くの震災を経験し、既に私たちの仲間の建築家の多くもさまざまな取組みやアイデアを出し合っていることもこのフォーラムで知ることが出来ました。仮説住宅の建設に関する取組みの他に、本当に些細なことかもしれませんが、避難所でのプライバシーを核をするためのシステムの提案などもあり、すでに現地で取組みがなされていてこちらについても出来れば、私自身もいろいろ考えておきたいと思います。JIAの石川地域会の取組みで子供がワークショップで新聞紙ドームをつくるプログラムもありますが、これなどは単につくる喜びや建築の楽しさを子供たちに体験させるためだけではなくて、多くの人に日頃から簡単な空間のつくり方に慣れてもらうことで、いざという時に役立つと確信しました。キャンプでテントを張ることや、紐を結ぶこと、力学的なことを理解してモノを組み立てること、、、些細なことでも大変重要なことが解りました。

私の住む能美市でも今回の地震で被災者に活用してもらおうと、空き家の提供を呼びかけていますが、震災が起こり呼びかけることは当然のことかもしれませんが、そのストックを日頃から把握しておけば、このような震災では有効に活用のできることだということも解りました。また、地域づくり的な観点から言えば、過疎化の進んでいる農山村では、一次産業ではあるかもしれませんが仕事と住居を一つにして、被災者を迎え入れることも可能かもしれません。被災地のコミュニティの再生に関しては問題も残りますが、両者の困りごとを解決できる機会と捉えることもできるかもしれません。

また、これまでの震災が起こると各地で建築物に多くの被害が生じます。今回は津波による被害が何かと注目されていますが、実際はその周辺にももっと多くの被災建築が存在していて、それらの多くが現実に危険な状態で取り壊し撤去の必要な建築物も存在し、一気に解体が進んで行きます。特に危険という理由で解体には、一定時間の猶予しかなく、国からの援助が割と簡単に差し伸べられるのに対して、再建には一定の用途、規模しか援助が差し伸べられず、たとえ文化財級の建築であっても直ぐに撤去の状況になってしまうとのことです。能登震災でこの地域の建築家や地域プランナーが立ち上がって活動の開始された。NPO法人輪島土蔵文化研究会の活動のように、現在の暮らしには不必要かもしれない建築物やでも地域の景観をつくる大切な要素であり、そんなものも簡単に取り壊すことには手を差し伸べ、その再建に手を差し伸べないのは何か矛盾していて、そんなんな建築や景観の再建にこそ手を差し伸べなけば、どんどんと日本の古き良き文化は姿を消していくことになります。いち早く現地へ出かけ活動してきた金沢の建築家の橋本浩司さんも急遽駆けつけお話してくれましたが橋本さんの話もここへ繋がります。

最初の話に戻りますが建築家Catalogueのメンバーで東京で活動している三村大介さんが地震当日の東京の状況、東京の現在をお話して頂きました。当日は最初の揺れで建物から人が道路へと出て、次第にパニックになっていく様子が生々しく語られました。起こりえないことが起こった時、現在の東京だけでなく、多くの都市や地域ではおそらく同じ状態になることは避けられないでしょう。また原子力発電所だけでなく、今回の被災地のように、復旧の目処のたたない深刻な状況に落ちいてしまうことは容易に想像できることです。また、住居などの小さな木造の建造物は、なすすべもなくすべてを失ってしますことになるのが現状かも知れません。私の自身もそうだが、想像のつかないことが起こればこれは当たり前かもしれないが、この震災を経験し、私たちの住まいのつくり方、都市や地域のつくり方は今後大きく変化すると考えています。水や食料、エネルギーもすべてが破壊されても最小限を確保できるしくみを考えていかなければならないように考えます。住まいはやはり本来小さなシェルターの機能を果たす部分が必要な気がしますし。財産のみしまえるような小さな金庫のことを言うのではなくて、最小限絶対に壊れない部分が必要ではないでしょうか。そして最低限の水や食料、エネルギーの備えも出来なくては住まいと言えくなるとように思います。都市や地域も同じです。コミュニティー単位で、絶対に破壊されない。最低限のスペースと最低限の水や食料、エネルギーの備えも必要ではないでしょうか。起こりえないを想定した環境の整備が私たちにはこれからは必要なのではないだろうか。

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